2014年5月6日火曜日

2014~「出雲大社(いずものおおやしろ)」:その1

昨年、60年に一度と云われる大遷宮が執り行なわれた出雲大社ですが、
関連行事やら、関係する神社の改築(遷宮)工事などはまだまだ続いており、
あと2年ほど経たないと本当の「平成の大遷宮」は終わらないようです。

それはともかく、冬の12月と初夏の5月とで風景がどんなに違っているのかを見ることもとても楽しみでした。

昨年は「一の鳥居」のさらに外側にある駐車場に車を置いて、大社までは歩いて来ました。
そう、まず「一の鳥居」で一礼をして歩いて来たのですが、今年は「一の鳥居」は車の中から一礼です。
今年はこの「二の鳥居」の近くの駐車場を使うことにしたので、ここで約30分の時間を稼ぐことができました。
時間制限のある日帰りでは、この30分という時間はとても大きくしかも貴重です。

「二の鳥居」を背にして「一の鳥居」を見るとこんな感じです。
ここまでは少し上り坂ですが、それにしても「一の鳥居」の大きさが半端ではありません。

朝、駅に着いた時にはまだ曇っていて、いつ雨が降り出してもおかしくないような空模様だったのに、
ここまで来ると少しずつ雲が切れてお日様が顔を出してくれました。暑いくらいです。
ほら、ここでもボクの日頃の行ないが・・・。
お天道様はちゃんと見ていて下さった、という誠に「明らかな」証明ではありませんか。

さて、それでは、「二の鳥居」で一礼して参道を歩いて行きましょう。
日本の多くの神社では、参道は本殿に向かって上り坂ですが、何と出雲大社では下り坂です。

本殿側から「二の鳥居」の方向を見るとこんな感じです。

なぜこんな造りなのか?
一説によると、
“神様には謙虚な気持ちで会いに行かなければならない。
謙虚ということは、へりくだった気持ちにならなければならない。”
ので、へり“下る”という事で下り坂なのでは?とも云われています。

後から取って付けたようなホントかどうかかなり怪しい説です。
ボクには、ただ単に、たまたまここの地形がそうだったから、としか思えないんですけどねぇ。

まぁ、そんな事はどうでもよろしい。先に進みましょう。

ここ出雲大社にお参りするにあたってはちょっと大事なことがあります。

参道を坂の上から撮った2枚上の写真にも祠の屋根が小さく写っていますが、
(提灯を下げる右側手前から2本目の支柱の根元あたりです)
本殿にお参りする前に、ここで今まで重ねて来た罪の数々を祓ってもらい、
神様の御心をちゃんと頂けるようにするのだそうです。

ここは、「祓社(はらえのやしろ・はらいのやしろ)」という小さなお社で、
あまりの小ささに、出雲大社に参拝に来た多くの人達はここを素通りしてしまいますが、
それでは本当の神様の御心(ご利益)を頂くことができないのです。

特に、罪深い人はここでちゃんと罪を祓ってから参拝しないといけません。
そこへいくとボクなどはあまり罪深くないので、“よろしくお願いします”、程度でも全く問題なしです。

さて、「三の鳥居」から続く「松並木の参道」を抜けると、

いよいよ「四の鳥居」の前に到着します。
連休の谷間の平日とはいえ、中には“大型連休中”という人達もいるのでしょう、
やはり12月の土曜日とは人の数が違います。季節もいいですしね。

この最後の「四の鳥居」の手前右側には、「結びの御神像」があります。
大国主命(おおくにぬしのみこと)が海神から幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)の“おかげ”を頂き、
「結びの大神」となった、という神話の一コマの像なんだそうです。
太陽が顔を出して金玉、いや、金の玉がさらに輝きを増しました。

それにしてもこの出雲という所は、「古事記」や「日本書紀」などに記述が残されていますが、
それがどの程度の信憑性があるものなのか、まだ充分には研究され尽くされていないようです。

ただ、古くからの言い伝えや遺跡からの出土品、諸々の情報を総合すると不思議にそれら神話の世界とちゃんと繋がって、
出雲に“スゴイ”ものがあったことだけは間違いない、という結論に達するのだそうです。

いずれにしても、古代日本、そして出雲は、まだまだわからないことだらけです。

その出雲の「イ」の字すらわからない状態から今年も出雲ツアーがスタートしました。





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