2011年8月28日日曜日

図書館

“働き者のアリさんは、夏の暑い中せっせと働いて食べ物を貯めていたので、
秋になってまわりに食べ物がなくなっても何の不自由もなく暮らしていけました”

“そんなアリさんの働く姿を横目で見ながら夏の間じゅう遊んでいたキリギリス君は、
秋になると食べるものがなくなって、アリさんの所へ食べ物をもらいに行きました”

“夏の間じゅう、さんざん遊び呆けていた僕は、秋になって勉強することが増えたので
とても今苦労をしています”

こんなイソップ物語みたいなことになるとは・・・・・。


夏休み中ずっと遊んでいたからでは決してないんですけど、ね。

休み明けに課題が出たので大変なことになっているのです。

月末までにやればいいんだから、とタカをくくっていたのですが、
実際にやってみると、そんな簡単にできるものではなく・・・・・、
“仕事中にやっちゃえばいいじゃん”、もちろんその通りではありますが・・・・・、
そう思って、少し時間が空いたのでやり始めると、そこに電話が・・・・・、
その電話の対応が終わって、やれやれ、と再開すると今度は別の所から電話が・・・・・。
結局、勤務先ではテキストを開いたところでおしまい。

せっかくの週末に「宿題」として持ち帰ることになってしまいました。
持ち帰った以上、絶対にやるしかありません。
天気が良さそうだったので出掛けようと思えば出掛けることもできましたが、
家にいると誘惑が多いので、「同志」が集まっている図書館にいくことにしました。

たぶん、物心がついてから図書館に行ったことなんかほとんどなかった、と思います。
まず、本を借りて読むことがない。図書館で勉強したことがない。
そんな僕が図書館で勉強することになるなんて、自分で言うのも何ですが、余程のことです。

どこにあるのか全然わからなかった(家の近くなのに)ので、ちゃんと調べました。
立派な図書館です。
千葉県立西部図書館といいます。
















この施設のおかげで勉強はかなりはかどり、いい結果を残せそうです。
これは、施設のおかげじゃなくて、自分の努力のせいかも・・・・・?

2011年8月16日火曜日

夏休み最後の1日

“今日で夏休みがおしまい”という日、
家でゆっくり過ごすのが普通と思われがちですが、
「お出掛け虫」が今日も黙っていてはくれませんでした。

もう既に陽は高く、そんな遠くにまで出掛けることはできません。何せ暑いし。

そういう訳で今日は「銚子丸」へお寿司を食べに・・・・・、
行きません。
「銚子」に行くことにしました。

家から2時間程度で行ける所なので、ちょくちょく出掛けます。
ただ、今日で夏休みが終わりなので、いつもとは少しばかり違った「銚子行き」にしてみました。
立ち止まったり、キョロキョロしたり、普段していないことをしてみます。
家を出て15分程走った所にはこんな風景が広がります。
いつもは横目で見ながら通り過ぎてしまうところですが、今日は立ち止まりました。
こういう田んぼの風景は、四季の移り変わりを一番感じさせてくれますよね。

そして、銚子に行く時に必ずといっていいほどよく通るのが、この利根川の堤防沿いの道です。
















どこまでも続く真っ直ぐな道です。
左に“坂東太郎”利根川の流れを望み、右には関東平野の田園が広がり、ライダー達に人気の高い道です。
何しろ、自分の周囲360°遮るものが何もないのですから気持ち良いに決まってます。
やがて市街地に入り、銚子漁港が見えました。

たまには、この港の近くでお昼を食べようと思い、ある店を見つけました。

何て読む?
「まぐろぞう」?、「ゆうぞう」?、「まぐぞう」(まぐ、とは読まないだろ)?、「まぐろくら」?
正解は「まぐろぐら」でした。
お昼時とはいえ、ひとりなのですぐにカウンターの席に座れました。
こういう時のひとりは待ち時間がないので、とても楽ですね。
お勧めかどうかわかりませんが、一応“定番”の“お刺身盛り定食”を注文します。
出てきたのがこれです。
刺身+なめろう+つみれの味噌汁+小鉢(煮魚)+お新香。
可もなく不可もなく、大当たりでもなく大外れでもなく、予想通りの普通の“刺身定食”です。
この店に来る前にちらっと見た店の方が良かったかも・・・・・。

たまには灯台の写真でも撮っておきますか・・・・・。
この海岸では海水浴ができるのですが、なぜか人が少ないですね。
放射能の影響でしょうか・・・?

















犬吠埼の南側を回ると、外川(とがわ)漁港に出ます。
ここは、氷川きよしがCMをしている、「白鶴 丸」のロケをした所でもあります。
昼間なので静かな漁港です。
急な坂道(漁港には坂道が付き物ですね)を上ると、
そこには銚子電鉄の終点、外川駅があります。無人駅です。
電車は都内の大手私鉄からの払い下げ、いわゆる“お古”を改造して使っています。
こちら側は不明ですが、2両編成の前側は間違いなく西武鉄道の車両でした。
こっち側は何だろう?京王線?でも線路の幅が・・・。
でも、昔の銀座線の車両も使っているらしいということは・・・・・?















銚子を後にして家に帰る途中、ものすごい夕立に遭いました。“オレ、何か悪いことしたか?”
こんな日に限って、“銚子だからいらないな”とレインウェアを持って来ていません。

ガソリンスタンドで給油してついでにお兄ちゃんの好意で雨宿りまでさせてもらいました。
小降りになったので走り出してみると、10分程で元の夏の太陽が顔を出しました。
本当に局地的な豪雨だったんですね。

夏休みの最後の1日の締めは洗車でした。

2011年8月15日月曜日

風に吹かれて~またまた信州へ~

当然のことですが、夏は暑い。そして夏のツーリングはもっと暑い。
(あれ? いつかどこかで聞いたような・・・?)

この休暇中3度目のツーリングは、再び信州へ。

今回はいつもの「ソロ」ではありません。Guestさんと一緒のツーリングです。
行先は、Guestさんからのリクエストで志賀高原です。
15時間にも及ぶ長~い1日をお付き合い下さいました。


都内から関越道。
帰省ラッシュ真っ最中のしかも日曜日ということもあり、相当の渋滞を予想していましたが、
まだ朝早いため車の流れはまずまず。
大した渋滞にも巻き込まれず、休み休み走って8時過ぎには軽井沢にいました。
前回、海野宿に行った時にちょっとだけ様子を見ておいたカフェで朝食にします。
写真だと道路は綺麗に見えますが、実はバイクの駐車に困りました。
端に寄せて停めようとするとかなり傾いて危ないため、端から少し離れた部分に停めます。
しかし、この位置は間違いなく車道として使われる部分で通る車の邪魔になってしまい、
いつクレームが来るかドキドキものでした。

ところで、ここのカフェのパンは思ったほど種類が多くありません。
那須のPenny-Laneの種類の多さを思ってしまいますが、
ここはいわゆる「喫茶店」なので、どうもモーニングセット(モーニングプレート)が
正解だったようです。



軽井沢を後にし、草津を通り、志賀高原に向かいます。
途中、「草津運動茶屋公園」という名の道の駅に立ち寄りました。
こういうツーリング(いや、ツーリングそのもの)が初めてというGuestさんなので、
緊張と暑さと疲れを少しでも和らげてもらうために、マメに休憩を取ります。
そう、“緊張の夏、日本の夏”というではありませんか。まさにアレです。


多くのライダー達に会いました。







さて、ここからしばらくの間、クネクネ・ウネウネと山道が続くので、
カメラをGuestさんに預け、お好きなように撮ってもらうことにしました。

高原の様子が余すところなく伝わって来ます(褒め過ぎぃ)。
とてもじゃありませんが、運転しながらでは絶対に撮れるショットではありません。

                        
遠くの山並みを眺めながら高原道路を走って行きます。
もう既に雲と同じ高さまで来ました。
さすがにここまで来ると空気が違います。風が違います。すべてが下界とは違っています。  
この写真もGuestさんならではの爽やかなショットです。

そして、南志賀高原の山田牧場まで下りてきました。
ここには何度か来ていて、この静かでのどかな風景が気に入っています。
そして僕は、多くの人達にここの良さを知って欲しいと思っており、
誰かと志賀方面に来た時には必ずここにお連れすることにしています。
夏休みということもあり、家族連れが多く来ていましたが、
決して邪魔にならない、うるさく(ウザク)ない程度の人数です。
多くの人達に知って欲しい反面、メジャーにはなって欲しくない、そんな場所です。


この牧場を正面に見る場所に、今日の昼食の店(宿)Redwood Inn(レッドウッドイン)があります。

のんびり昼食をしているうちに、写真の雲が向こうの山から少しずつ降りて来ました。
天気が悪くなる前兆です。
後は帰るだけ(ここから帰るのですから、これがまた大変なんです)なので、
準備をして山を下ります。

菅平高原を経由し、上信越道の「東部湯の丸IC」まで来ました。
SA併設なので、“さぁ、これから大渋滞の中を帰るゾ”と休憩して気合いを入れるのには
もってこいの場所でもあります。 
Guestさんにはこんな写真も撮って頂いておりました。
普段何も考えずに通過してしまうような所もちゃんと押さえていてくれます。ありがたいですね。

西の空が暗くなって来ました。遠雷も聞こえます。
燃料を補給後早々にここを出ました。
上信越道から関越道の予想通りの大渋滞の中、
何十キロにも及ぶすり抜け(何度も言いますが、危険ですからお勧めしません)で
何百台もの車を抜き去って帰って来ました。

本日の走行距離、約540km。
信州の日帰りは大体こんなものですね。
とても暑い中でのツーリングでしたが、
今回はGuestさんのお蔭で長い1日を楽しく終えることができました。
またご一緒できる機会があったら、ぜひお願いしたいものです。
次回は、顔に当たる風が少しヒンヤリする位の季節がいいかもしれません。


8.12 福島へ そして福島で思ったこと

我が家から東北方面へのアプローチは、外環道:三郷南IC.~東北道というルートが一般的です。

しかし、何年か前にETC割引というものができてからは、
「東京近郊エリア」と「都心から100km以遠(地方部)」とに料金体系が分かれ、
さらにその上、
「休日割引」「平日深夜割引」「平日通勤割引」なる各種割引制度の組み合わせから、
東北道の「加須IC」が俄然注目を集めるようになりました・・・。(⇒ホントですかぁ?)
いや、注目しているのはほんの僅かの人達です。

12日は、僕達のように「お盆休み」「夏休み」の人以外は平日ですので、
高速道路も当然「平日扱い」となります。
自分が休日だからといって、みんなも休日なんだと勘違いしてはいけません。

そこで「平日のETC割引」をいろいろ調べてみると、
「深夜」の割引率が一番高いことがわかりました。
これは、平日の「午前0時~4時」の間に入口のICのゲートを通過すれば
何と50%割引が適用されるというもので、
「加須IC」から今回の目的地の「福島西IC」まで2,050円で行けてしまうという計算です。
これを利用しない手はありません。
難しいテクニックは不要、早起きすればいいだけの話です。

深夜に走ったことはしばらくなかったので、たまには走ってみようか、と思い、


途中、休憩した深夜のコンビニです。
今度はうまく撮れました。
午前3時頃です。時折車が通る程度でした。










この後、予定通り「加須IC」を午前4時前に通過して、福島に向かいます。

帰省ラッシュがこんな未明から既に始まっていました。
毎年のことですが、ご苦労様お疲れ様です。
渋滞の列を尻目にすり抜けをしながら(大変危険ですのでお勧めしません)、
何度か休憩を挟んで福島西ICを出ました。

下道に降りて最初に休憩をしたコンビニです。偶然同じ系列。
午前8時頃でしたが陽射しが既に暑い!!!
しかも店の出入口が東向き!!! 太陽の方角を向いています。
これじゃぁ暑い訳だ。隠れる場所がない。
日陰のない休憩場所は早々に引き上げて山に向かいます。

これから向かおうとする方角に大量の雲がでています。心配です!

道はこのままずっと上りです。
                                            

10分程走って住宅地を抜けると、こういう道に変わってきます。
まだ朝早いせいか(といってももう8時過ぎ)、平日なのか、車とすれ違うことがあまりありません。
しばらく走って高度を上げていくと白く霞んだ福島盆地を一望できるようになります。

途中の高湯温泉「玉子湯」です。
一度、10月の終わり頃に来たことがあります。露天風呂から見る紅葉は見事でした。
今回はまだ朝が早いのと暑いのでスルーしますが、また、紅葉の頃に来ます。

さて、今回無料化となった、磐梯吾妻スカイラインに来ました。
復興の為、観光の為とはいえ、ここまで福島の人達を頑張らせてしまったことを
大変申し訳なく思い、そして感謝しながら、有難く通らせて頂くことにします。


途中から姿を見せた吾妻小富士(あづまこふじ)です。
このふもとにある浄土平まで進んで行きます。

浄土平までは、こんな荒涼とした風景が続きます。
この辺りは、火山性ガス(硫黄ガス)が噴出しているので、「立ち止まり禁止」地域ですが、立ち止まってしまいました。


そして浄土平です。
平日の朝なので、まだ観光客はほとんどいません。
お土産屋さんのお姉さんに聞いてみると、休日でも観光客はやはり激減なんだそうです。
開店早々でしたが、串もちを1本だけ先に焼いてもらって食べました。
味噌味がおいしかったです。


浄土平を後にして、今度は山を下りて裏磐梯に向かいます。
ここでは、磐梯吾妻スカイラインと同様に無料化された、
第二磐梯吾妻スカイライン(通称:磐梯吾妻レイクライン)を通ります。
しかし、今朝ICを降りた時に見えていた雲が邪魔を始めました。
ほら、道の向こうに霧が・・・。これがあの雲の正体です。















何も見えません。
峠の名前だけが何とも・・・。















本当なら、この秋元湖の向こう側に磐梯山が姿を見せているのに・・・。

裏磐梯を経由して、
次に磐梯山の西側を通る磐梯山ゴールドラインに向かおうと思いましたが、
この雲が次第に黒さを増してきたため、五色沼入り口で今回のツーリングを断念し、
帰る途中、多少なりとも復興の協力をさせて頂くべく、福島の桃を買いました。
桃屋の(あ、こう書くと「江戸むらさき」の桃屋になってしまいます)、
いや、もも屋の
お兄さんと少し長いお話をしましたが、福島県内のどこも大変な状況のようです。
余りにもマスコミの報道の仕方が偏っていたがために、
原発事故→放射能汚染→福島(全体)が危険、という図式が出来上がってしまい、
本来関係のない会津地方にまでその影響が広がって来てしまったということなのです。

我々は、マスコミからの情報をすぐ鵜呑みにすることなく、
いろいろな方法を使ってその情報の真偽を確かめることが必要です。
こんな風景をこのままいつまでも残しておくためにも・・・・・。

本日の走行距離、約620km。
福島まで行くとさすがに距離が伸びます。


2011年8月9日火曜日

走り終わって日が暮れて・・・

当然のことですが、夏は暑い。夏のツーリングはもっと暑い。

何が暑いって、
直射日光、路面からの照り返し、そしてエンジンの熱。
そのどれからも逃げることができません。
地獄ぅ!体中が暑い、熱い。


ヘルメットに覆われた頭も相当な熱さになります。
一応のベンチレーション機能もあるにはあるのですが(付いていないのもあります)、
車のように強制的に風を送れる訳ではなく、あくまでも走行していることが条件で、
“前から来た風がこう流れると、内部にこういう流れが発生して蒸れません”
という具合です。
涼しくなるもならないも、あなた任せ風任せ、の世界です。

そういうものですから、走っている時はまぁ気にはならないものの、
ひとたび渋滞にはまってしまうと、これがもう大変なことになります。
(昨日のツーリングも相当暑かった。熊谷市内も通ったし)
先の三重苦との闘い、そして頭も熱くなって汗が流れます。
普段からややボーっとしている頭の中がさらにボーっと・・・。
マツコデラックスが男なのか女なのか、その判断すら危うくなって来ます。
(どうだっていいじゃん、そんなことっ!)

さてそういう一日を一緒に過ごしたヘルメットですから、中のパッドがタップリ汗を吸っています。
これをこのまま放置しておくと、汗臭くなるばかりでなく、
雑菌が繁殖して臭いが取れなくなってしまうので(TVショッピングの説明みたいですネ)、
最近では、ツーリングから帰って風呂に入る時に一緒に
ヘルメットのパッドを全部取り外して洗うことにしています。
自分もヘルメットのパッドも同時に綺麗に。手間が省けます。


大きめの容器にぬるま湯と洗剤を入れて、パーツ全部を浸してしばらくそのままにしておきます。
この間にまず自分の全身をきれいにします。
こんなものとか、


あんなものとか、


ついでにグローブも、
基本、押し洗いをします。

このあと何度かすすぎをして干しておけば、翌朝にはすっかり乾いて臭いも取れています。
こういう所の手間は、自分のためでもあるので決して惜しんではいけません。
これでまた新たなツーリングに気分良く出発できるというものです。







街道をゆく~北国街道 「海野宿」

久し振りの信州です。

“おぉ?何だ?ついこの間「福島に行こう」なんて偉そうな事をブチ上げといて、
結局信州かよぉ、話が違うじゃねぇか!!!”

などという声が聞こえてきそうですが・・・。
いえ、福島もちゃんとこの休み中の予定に入ってますから・・・。
天気の関係で順序が入れ替わっただけですよ。

それでは、気を取り直してもう一度、

久し振りの信州です。今日は天気に恵まれましたぁ。

この空が見たかったんだよなぁ(湯の丸高原にて)

上信越道を走っている時には浅間山の頂上がクッキリと見えていたので、
これは今日は間違いないだろう、と碓氷峠を越えて来てみるとこの通り。
先行きに不安を感じつつも、ここまで来ちゃったらもう戻りようがないので、
このままとにかく前に進んで行きます。
そう、車と違ってバイクは前にしか進めないんでねぇ。

今日に限っては、“ここに行ってこうするんだ”というやや明確な目的があります。
しかし、外的要因によってどうにでもなってしまう「やや」では、
果たして明確と言えるのかどうか?あまり意志の堅さが感じられませんが、
「普段よりまだマシ」なレベルです、きっと。

とにかく前へ進んで軽井沢の街を通過して行くと、中山道の「追分宿」があります。
そのはずれにあるこの道標、「分去(わかさ)れ」の碑といいます。
ここが中山道と北国街道の分岐点で、
右へ行くと北国街道、左が中山道。
今日はこの左に走っている国道18号線をしばらくの間進んで行きます。


今回の目的地は、「海野(うんの)宿」です。
















木曽の馬籠・妻籠ほどメジャーな所ではありません。だからいいんでしょうね、キット。
江戸時代に建てられた旅籠屋造りと、明治時代の造りとが、絶妙に調和しています。
木曽は街の間近まで山が迫っていて、少なからず暗い印象があり、
それがまたあの街並みの持つ独特の雰囲気も形作っているのですが、ここは何とも明るい。
街の上には遮るものが何もなく、真っ青で大きな夏の空が広がっています。


そしてここはあの、「うだつ」で有名な街でもあります。
“あいつはいつまで経っても「うだつ」の上がらん奴だ”、のまさにあの「うだつ」です。

「うだつ」とは、「卯建」と書き、この街独特の建築様式のひとつで、
もともとは、防火の意味合いがあったそうですが、
いつの頃からかそれが次第に富裕層の象徴的なものになって来たそうです。
他には真似のできない立派な「卯建」を立ち上げること、それこそ資金力がなければできません。
ここから「卯建が上がる」ことが「お金持ちである」ことの証明であり、
逆に、「卯建を上げられない」ことが「お金持ちではない」こと、という意味となった訳です。
今ではそれが、「卯建の上がらない」は、「さえない」、「パッとしない」というニュアンスで
使われるようになりましたけどネ。
“おメェって男はいつまで経ってもウダツの上がらねぇ野郎だなぁ”
そんなことを言われないように、この目でシッカリと見てきましたよ。
左の写真の奥が「本卯建」といって江戸時代の卯建、手前が「袖卯建」、明治以降の卯建です。  
右の写真は手前の袖卯建を拡大したもので、てっぺんに「シャチホコ」的なオブジェが載っています。


うまく日陰があったので助かりました。大きなケヤキの木です。
お土産屋さんのお姉さんが、春と秋もいいんですよ、と教えてくれました。
たぶん、その通りだと思います。今度は紅葉の時期に来てみましょう。

懐かしさを感じる静かな街でした。蝉の声しか聞こえません。
ここには実際に生活している人がいます。
この街を貫く道はいわゆる生活道路でもあります。
朝なのに(朝だから、か)結構車の通りがありました。殆どが地元の車でした。
でも、車が通り過ぎてしまうと、
蝉の声だけが響く、もとの山あいの小さな街に戻るのでした。




最近のバイク用ドライブレコーダーは凄い!

たいぶ前からバイク用のドライブレコーダーがショップに並んでいて、 もしかしたら、これは車より必要なものじゃないか? いつかは取り付けようと考えていました。   「いつか」、というのは、まだまだ納得できる商品が出ていなかったからですが、 ある日たまたまショーケ...