“おぉ?何だ?ついこの間「福島に行こう」なんて偉そうな事をブチ上げといて、
結局信州かよぉ、話が違うじゃねぇか!!!”
などという声が聞こえてきそうですが・・・。
いえ、福島もちゃんとこの休み中の予定に入ってますから・・・。
天気の関係で順序が入れ替わっただけですよ。
それでは、気を取り直してもう一度、
久し振りの信州です。今日は天気に恵まれましたぁ。
この空が見たかったんだよなぁ(湯の丸高原にて) |
これは今日は間違いないだろう、と碓氷峠を越えて来てみるとこの通り。
先行きに不安を感じつつも、ここまで来ちゃったらもう戻りようがないので、
このままとにかく前に進んで行きます。
そう、車と違ってバイクは前にしか進めないんでねぇ。
今日に限っては、“ここに行ってこうするんだ”というやや明確な目的があります。
しかし、外的要因によってどうにでもなってしまう「やや」では、
果たして明確と言えるのかどうか?あまり意志の堅さが感じられませんが、
「普段よりまだマシ」なレベルです、きっと。
とにかく前へ進んで軽井沢の街を通過して行くと、中山道の「追分宿」があります。
そのはずれにあるこの道標、「分去(わかさ)れ」の碑といいます。
ここが中山道と北国街道の分岐点で、
右へ行くと北国街道、左が中山道。
今日はこの左に走っている国道18号線をしばらくの間進んで行きます。
今回の目的地は、「海野(うんの)宿」です。
木曽の馬籠・妻籠ほどメジャーな所ではありません。だからいいんでしょうね、キット。
江戸時代に建てられた旅籠屋造りと、明治時代の造りとが、絶妙に調和しています。
木曽は街の間近まで山が迫っていて、少なからず暗い印象があり、
それがまたあの街並みの持つ独特の雰囲気も形作っているのですが、ここは何とも明るい。
街の上には遮るものが何もなく、真っ青で大きな夏の空が広がっています。
そしてここはあの、「うだつ」で有名な街でもあります。
“あいつはいつまで経っても「うだつ」の上がらん奴だ”、のまさにあの「うだつ」です。
「うだつ」とは、「卯建」と書き、この街独特の建築様式のひとつで、
もともとは、防火の意味合いがあったそうですが、
いつの頃からかそれが次第に富裕層の象徴的なものになって来たそうです。
他には真似のできない立派な「卯建」を立ち上げること、それこそ資金力がなければできません。
ここから「卯建が上がる」ことが「お金持ちである」ことの証明であり、
逆に、「卯建を上げられない」ことが「お金持ちではない」こと、という意味となった訳です。
今ではそれが、「卯建の上がらない」は、「さえない」、「パッとしない」というニュアンスで
使われるようになりましたけどネ。
“おメェって男はいつまで経ってもウダツの上がらねぇ野郎だなぁ”
そんなことを言われないように、この目でシッカリと見てきましたよ。
左の写真の奥が「本卯建」といって江戸時代の卯建、手前が「袖卯建」、明治以降の卯建です。
右の写真は手前の袖卯建を拡大したもので、てっぺんに「シャチホコ」的なオブジェが載っています。
右の写真は手前の袖卯建を拡大したもので、てっぺんに「シャチホコ」的なオブジェが載っています。
うまく日陰があったので助かりました。大きなケヤキの木です。
お土産屋さんのお姉さんが、春と秋もいいんですよ、と教えてくれました。
たぶん、その通りだと思います。今度は紅葉の時期に来てみましょう。
懐かしさを感じる静かな街でした。蝉の声しか聞こえません。
ここには実際に生活している人がいます。
この街を貫く道はいわゆる生活道路でもあります。
朝なのに(朝だから、か)結構車の通りがありました。殆どが地元の車でした。
でも、車が通り過ぎてしまうと、
蝉の声だけが響く、もとの山あいの小さな街に戻るのでした。
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