もう1週間前の事なんですね。時の経つのが早い早い。
いろいろあって忙しかったのですが、ようやく落ち着いて気が向いたのでボチボチ書き始めますね。
伊勢の時にも戸隠の時にも前回の富士山の時にも敢えて書かなかったのですが、
神社のお参りにはちゃんと作法があります。
もうすぐ初詣の時期でもあるので、ここらできちんとおさらいしておいた方がいいですよ。
詳しくはこちら。
ただし、ここ出雲では普通「二拍手」のところを「四拍手」することになっています。
さて、早朝JR出雲市駅に着くと、冷たい風が吹いて時折雪が舞うという天気でした。
出雲地方の天気予報は、曇り時々雪。寒い訳です。今日1日どんよりした曇り空なんだろうなぁ!
レンタカーで良かった、と思いつつ真っ先に出雲大社に向かいます。
一番手前の駐車場に車を置いて歩いて行くことにしました。
拝殿に着くまで四つの鳥居を通ります。
まず、上の写真の「一の鳥居」から。
コンクリート製のかなり大きな鳥居で、出雲大社の入口の象徴でもあり、
訪れる者にズッシリとした威厳を感じさせます。
さぁ、ここからいよいよ神様の領域です。
この先「二の鳥居」の前まで松並木の通りが続いています。
ところで、10月の「神無月(かんなづき)」という呼び名は、
日本中の神様が出雲に集まって居なくなってしまうからで、
逆に出雲では10月を「神在月(かみありづき)」と呼ぶのだそうです。
この10月に出雲では「神在祭」というものがあり、
その時に神前にお供えした餅と小豆を煮た雑煮の「神在餅(じんざいもち)」が、
後々なまって現在の「ぜんざい」になったと云われています。
そのため出雲大社の周辺はもちろん、他の出雲地方でもぜんざいの店をたびたび見掛けました。
でも今回は残念な事に時間の都合で食べられなかったんですよね。
次に行く時には絶対に食べようと思っています。
さて、やっと「二の鳥居」です。ここからが本当の参道です。
普通、拝殿は高い所にあるものですが、ここの拝殿への参道は下っているという大変珍しい作りです。
そして、忘れてはならないのがこの写真の参道の右側にチラッと見える小さなお社で、「祓社(はらえのやしろ)」といいます。
「物の本」によると、ここでまず知らぬ間にまとって来てしまった罪を、すべて祓い落とす必要があるのだそうです。
禊祓いを済ませないと拝殿にお参りしても何の役にも立たないらしく、
そう云われてしまうとボクのような罪だらけの人間は、絶対に素通りしてはいけません。
という訳で、ここをまずお参りして「三の鳥居」に向かいます。
この「三の鳥居」は鉄製で、この先から見事な松並木が続いていきます。
と、あんなに曇って寒かったのに何とここで陽が射して来たではありませんか!
いいことが“ありそうな予感”がします。
あくまでも“ありそうな予感”なので、いいことがなくても誰にも文句は言えませんけどね。
さて、この松並木を歩いて行くと、やがて左右に大国主命の銅像があります。
まず左側から。
出雲の神話「因幡の白兎」です。
「おい、これ、そこのウサギ。この世で一番偉いのは誰じゃ?」
「はい、それは大国主命さまでおじゃりまする。」
「おぉ、よくわかっておるな。褒めて遣わすぞ。」
などという会話をしているのではありません。
海岸で(山で、という説もありますが)赤ムケにされたウサギを助けて、治療法を伝えている姿で、
どうやら日本で一番最初に医療方法を伝授したがこの「因幡の白兎」の話なんだそうです。
それはそうと、大国主命(ダイコク様)が肩に掛けている大きな袋の中には何が入っているかご存知でしょうか?
実は、あの袋の中にはボク達の苦難や悩み事が詰め込まれており、それを代わりにダイコク様が背負ってくれているのだそうです。
ボクが何事もなく元気で出雲に来られたことを素直に感謝すべき場所でもありました。
こうしてお参りできるのもダイコク様が苦しみや悲しみを背負ってくれているお蔭です。
この像を見た途端、涙がポロポロ流れて来てしまいました。
何故なのか自分でも良くわかりません。もしかしたら「氣」を感じたのかもしれませんね。
次に、右側にある像は、
大国主命が跪いて金色の玉に向かって大きく両手を広げています。
「ムスビの御神像」といわれ、
大国主命が海神から“幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)”の“おかげ”を頂いた事により、
神性が養われて“結びの大神”となったという神話の1シーンだそうです。
神話の中の世界はなかなか難しいものがあってよくわかりませんね。
さて、御手水場で手と口を清めた後は、いよいよ最後の「四の鳥居」です。
この四番目の鳥居は銅製で、銅の鳥居としては日本で一番古いものなんだそうです。へぇ~、そうなんだ!
そして、拝殿へ。
重みがあります。何だろう?明らかに空気が違います。
そして八足門まで来た時に雲の切れ間からまた陽が射して来ました。
ところで、この八足門の前には三つの丸を一つの大きな丸で囲ったものがあります。
これは古代の神殿の柱の跡なんだそうです。
大昔の出雲大社は実は50m近くの高さがあったらしいのです。
でも、それは所詮作り話や空想の世界での話、ということで片付けられて来たようです。
大体、大昔にはそれ程の高さの建築など技術的に無理だろうし、と。
ところが、近年になってこの写真の場所から、
直径が1mを超える杉の大木を三本束ねて鉄の輪で結んで一本の柱としたものが発見され、
これで古代に高層建築が実在したことが証明されたということです。
その1本の太さが赤い丸、3本束ねたのが外側の丸です。
歩いている人と比べるといかに太い柱かがわかりますが、古代の建築でそこまで?
そんな事を考えると、この出雲という土地はものすごい場所だったと云えます。
エライ所に来ちゃったものです。雰囲気に圧倒されてしまいそうです。
まだまだ続く・・・。
浅草寺で二拝二柏手する「日本人」が多いのには情けなくなります。
返信削除とは言っても玉串作法に関しては全然しらないのですが(; ^ω^)
写真からも聖なる「気」が伝わって来ますね!
続きが楽しみです(o^ω^o)
玉串の奉納はあまり日常的にはやらないので、
削除知らなくても恥ずかしくはありませんよ。
あるとすれば、車やバイクのお祓いをしてもらう時ぐらいです。
それよりも、お寺で二柏手はちょっと問題ですね。
それにしても、出雲は噂に違わずすごい所です。
あちこちに神様がいるようで、悪い事はできませんね。
というか、悪い事をするつもりもありませんが。